アレキパを出発して次の目的地ナスカまでは600km近くあ るのであるが、
あいかわらず海岸線沿いの岩山を縫って走行するのである。もう、落石が気になって仕方がない。
しかも今回はそれにプラスアルファで『砂地』と言う強敵が出てきた。
道路の回りは全て砂。
当然、風が吹いたりして道路にも砂で埋もれているところもあり、
コーナーを曲がった先がいきなり砂が敷いてあったりしてうかつにスピードが出せないのである。
調子コイてると思い切りすべる事は間違いなし。
滑ってうっかり変態ちっくに
『コケちゃったよ〜いひひひひひ〜』とか
なぜかよだれまでたらしながら言って済めば良いが、滑った先は容赦なく崖が待っているのである。
前述したが、山を削ってアスファルトを引いただけの道路にガードレールなんぞない...!!
いや、皆無とは言わないがそれはお世辞には安全とはいえない代物。万が一にでもミスは許されないのである。
しかもこの日の朝バイクをチェックして発見したのであるが、なんと修理した箇所からオイルが漏れていた。
原因は前に使っていた接合面のパッキンを再利用して使ったため隙間が出来てしまったからである。
まあ、特に酷い漏れではないので毎日少しずつオイルを足せばとりあえず問題はないのであるが
『漏れたオイルがタイヤなどに付着すると滑って危ない』
『いや、よく潤滑させた方がよいのではないか?』
『ヌルっと滑ってすぐ入っちゃう』
『いや、まず指から』
『初めはあまり激しくしない方が...』
など、
心配性な私は別に考えなくてもいい事までいろいろ考えてしまう。
とにかく、どちらにしても新しいパッキンと取り替えなければならないのであるが、問題はオレのバイクと同じガスケットがここ南米で手に入るかどうかである。
その可能性はほぼ皆無に等しい。
もうどうしようもないが考えてもしょうがないのでとりあえずはしばらくこのまま走らなければいけないようだ。
さて、そうは言ってもアレキパを出発して2日目のお昼前には何事もなくナスカに到着。
やっと辿り着いた...というカンジであった。
と言うのも、3年前に行った中南米バイク縦断の際、ナスカを目指して走っていたところ
途中の道があまりにも険しくて途中で引き返し断念したからである。
あの時無理して走っていたら間違いなく生死に関わっていただろうし、早めに決断して良かったと今でも思う。
が、南米に行く前『地上絵』について色々教えてくれたりそれについての本をオレに贈ってくれたりした人の為にも、
どうしても見ておきたかった。あの時の悔しさは今でも鮮明に覚えている。
そんな訳で、
『ナスカの地上絵』
というのは観光以前にオレにとって特別な思い入れが強いのである。
やはり行こうとして辿り着けなかっただけにこの時の感動は言葉に出来ないものであった。
これはバスで旅行するバックパッカーには分からないところだろう。
ところでナスカの街は、世界的に有名な場所にもかかわらず、
拍子抜けがするほど小さい街で閑散としてるというか、全然観光地らしくはない。
待ち自体がこじんまりとしているというのもあるが、何も知らないでこの街に来たら、誰も観光地だとは気付かないだろう。
まあ、逆に落ち着いて過ごす事も出来る所でもある。
バ イクも置ける『HOTEL NAZCA』に決めた後、とりあえずナスカの地上絵を見る飛行機を予約するため
街から10KMほど離れた飛行場に向かったのであるが、そのうちの一社に 適当に入り、40ドルで明日朝8時にという事でさっさとフライトは決まった。
オフィスの人が言うにはがいうには朝は空気が澄んでいるため、よく見えるという。
なるほど。
朝早く起きるのが少し心配であったが無事に起きることができて8時ピッタリに空港に到着。
が、なんだかんだ順番待ちとかで結局10時半まで待たされた。
早起きした意味無いじゃん!!
なんだかんだ待たされてしまったが、とうとう10時半、
狭い滑走路から乗客がパイロットも含めて4人しか乗れない狭い小型のセスナに乗って出発。
乾いた不毛な土地を突っ切って地上絵に向かうのであるが、いざこれからみるとなるとやはりドキドキしてしまう。
あまりのドキドキ感の為、救心が必要なくらいだ。
5分ほど飛行してると言えは全く見えなくなり、草木が全く生えていないような山の上を飛行するようになる。
まあ、この近辺自体家はほとんど無いのであるが、下を向いて景色を眺めていると どんどん気持ちが悪くなってくる。
さらにさっき待っている間あまりにヒマだったので飛行場の近所にあるメシ屋でスパゲティーの大盛りを食べたのも悪かったらしい。
するとパイロットが突然
『あそこだ!』
と言って指さした。
よく分からなかったが目を凝らして見てみると、確かに何かの模様が見える。
地上絵だ!
オレには『おばけの急太郎』に出てくるドロンパにしか見えなかったが、どうも『クジラ』らしい。
というか今、ふと真面目に気がついたけど急太郎ではなくQ太郎である。
それ以前に地上絵の周りにはハンパ無い数の線が引いてあるのであるが、これが全部車の通った跡!!
地上絵をふんづけている線なども結構あるし、南米大陸を走る幹線道路であるパンアメリカンハイウェイなんか、まるで地上絵が無いかのごとく絵の真ん中に堂々と道路が作ってある。
現地人にとってはあまり重要なものでは無いのであろうか?
そう思っている間にも宇宙飛行士、手、木、トカゲ、蜘蛛ななど様々な地上絵が目の前に出てくる。
もう
『すごい!!』の一言!
行く前に『ショボかった』とか『ほとんど見えない』といったことを聞いていたためか、思っていたよりも全然鮮明に見る事が出きた。
一番素晴らしかったのはコンドルで、くっきり見え、また規模が一番大きかった。
あっと言う間に約20分の飛行時間は終わり空港に帰ってきた。
大変満足してかえってきたのであるが飛行機を降りたら近くに居る姉さんが『空港税を払って下さい』
と言って近寄ってきた。が、そんな事は昨日話に聞いて無いしローカル空港の空港税と言う存在自体が分からん。
何か胡散臭いのでオフィスの人にそのことについて尋ねると『払ったほうがいい』と言っていた。
が、オレが『そんなことは聞いて無い。何で昨日説明しなかったんだ!』と詰めると、彼の口から出た言葉は
『無視していい』
だった。
そんなんでいいのか!?
が、ここは日本ではなく南米。
平気でそれがまかり通る所。郷に入らば従えである。
が、彼がいいと言うので俺は帰ろうとするとその姉ちゃんは別の人を連れてきて
『払わないならポリスに電話する』
脅されたが、オレも
『電話するんならすればいいけど、ここのオフィスはそんな説明はして無い。文句があるならオフィスの人と話をしてくれ !』
と言って帰ってきた。
ホテルに電話すると言っていたがそんな連絡は一切なし。
繰り返して言うがここは日本ではなく南米大陸である。
朝早かったせいか、帰ってきてからは途端に眠くなり昼寝してしまったが、
夕方からはバイクで街から20kmほど離れたところにある『ミラドール』と言う展望台に向かった。
いかに見えやすいとはいえ、限られた時間内に飛行機から見えるそれはやはり一瞬であり、真近に地上絵をみて見たかったからである。
とは言え、ここから見えるのは『木』と『手』の2つだけであるが地上絵を描く線はせめて1mはあるだろうと思っていたのであるが、なんと深さはほとんど無い!!
何しろ展望台からなので正確では無いが、それでもどのくらいなのかはよく分かった。
溝なんかほとんど無い。10cmも無いんじゃないだろうか!?
こんな頼りない線が何千年もの間消え去らずに残っていたというが、これはもう不思議としかいいようが無い。
一体何のメッセージだったのであろうか?
今までオレが見た遺跡だったり建造物などはそれを作った理由が必ずあった。
例えばピラミッド屋インドのタージマハールは王の墓だとか、アフリカのケープゴースト城塞からは世界各国に奴隷が送られた、いった具合だ。
が、ナスカに関しては未だに何故作っていたのか分かっていない。色んな説があるが全て推測に過ぎないのである。
しかもその頃、真っ直ぐに線を引く技術はなかったらしいのであるが、地上絵はほぼ完璧な直線を描いていたというのは不思議と言わずにはいられない。
地上からではどの様な出来なのか確認することすら出来なかったはずなのに、時間も人もかけて、一体何をしたかったんだろう。
未だに全てがナゾに包まれている『ナスカの地上絵』
日が落ちる直前までそこにいてしまったが、すっかり満足して帰ってきた。
これで前回いけなかったところは全て制覇した。後はピラルクーだけか?
次の日、ナスカを後にした。
次に目指す場所はもちろんマチュピチュで有名なクスコである。
クスコまでは約650KMほどであるが、ここからアンデス山脈を走る事になる。
ナスカを出て20kmほどで峠に入り一気に標高4000m級まで登っていくのであるが、
さすがにバイクが空気不足でアクセルの反応が極端に悪くなり60km/h以上出せなくなってきた。
ナスカから200km先の町まではあがったり下がったりのワインディングの繰り返しでスピードが稼げず。
が、その間の景色は正に絶景!!
アンデス山脈の美しさが存分に堪能できるのは間違いない。
街を出て50kmほどでまた4000mまで登っていき今度は山の丘の上を走る様になリ、比較的真っ直ぐな道を走るようになってきた。
が、相変わらず空気は薄いので、結局この日は360kmしか進めなかった。
しかしオレはこの日、後悔したことが一つあった。
それは『釣り』である。
というのもナスカ クスコ間は途中から川沿いを走る様になるのであるが、その川がまた素晴らしい渓流でいかにもマスが生息してそうな所なのである。
が、チリで釣り道具一式をなくしてしまった為、どうしようも出来ないのである。
メチャクチャくやしい!!
そう思って夕方メシを屋台に食いに行ったら、そこ出てきたのがマスのフライであった。
20cmくらいのものであったが、やはりそこの川で取れたものだと言っていた。それを聞くと益々くやしい。
ペルーでは釣り道具屋などは無いようで、未だに一軒もみていないので、
道具さえ購入することすらできず、結局何も出来ずに川を後にするしかなかった。
誰かオレの代わりにリベンジしてくれー(笑)
さて、クスコまでは後320kmなので楽勝である。アバンカイまでの120kmまでは標高も低く道もよく飛ばせるので2時間しかからなかった。
昼メシにペルー料理のセビーチェと言う、魚のレモン漬けを食べて残りの200kmまで一気に行ってしまおうと試みるが、
街を出てから再度急な勾配を登って行くのであるが、1倍高いところで自分で持っているGPSで標高を確認したら4000mを越していた。
当然バイクは全く走らなくなりペースが落ちるのであるが山を登り切ったらまた2000mくらいまで下って
クスコに入る手前でなだらかに登っていくというアップダウンの激しい道を抜けてPM4時、やっと街に辿り着いたのであった。
マチュピチュ編に続く
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